2011年 03月 14日
大阪から東京へもどりました |
大地震で被災された方々・ご家族の方々へ心よりお見舞い申し上げます。
***
きのう13日の日曜日夕刻、帰省していた大阪から東京の我家へ戻ってまいりました。安否確認のメールを下さった皆さま、大阪で歓待して下さった皆さま、ご心配いただき本当にありがとうございました。我家は2人とも無事です。都内在住の私の両親も姉と甥っ子も。人と人とのつながり、温かさをしみじみ感じた3日間でした。
---
金曜日、いつも通りに出勤した親方と会社近くの東京メトロ・麹町駅で待ち合わせ、有楽町駅へ到着してホームを歩いているところで地震発生。ともかく地上へ出て、偶然拾えたタクシーに乗り羽田空港へ向かいました。ラジオから流れるニュースで震源が東京ではないこと、また東北では聞いたこともないような震度の数値に心が潰れそうでした。
通過したオフィス街は異様な光景でした。ビルの外に避難している大勢の会社員たち、お台場付近の湾岸でもうもうと上がる黒煙。封鎖された首都高速の下の一般道を走っていたときに感じた大きな余震の恐怖。まるで映画のCGのような街に自分がいる。電話は不通、メールも送信できない。家族は大丈夫か、高層ビルで働いている友人は、老朽化した本社ビルは。いろいろな想いが廻りました。
羽田空港到着。予想通りすべての機能は停止していました。ひたすら待つばかりです。それでも客たちは誰もが冷静でした。テレビの映像からは信じがたい被害状況が流れていました。鉄道が止まり、タクシーもバスも期待できない。陸の孤島となる空港で「もしかしたら夜明かしすることになるかもしれない」そう思って取りあえず食料確保。お弁当と飲み物を買い、ひたすら待つばかりです。
地震発生から約2時間後、相次ぐ欠航のなか間引き運行が再開。やがて我々が予約していた便も飛ぶことになりました。空港で約3時間、搭乗後の機内で約1時間待機の後、大阪伊丹空港へ到着。たどり着けたことが奇跡のようでした。
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こんな感じで東京を脱出した我々だったのですが、思えばすべてが偶然でした。
*16:30羽田発のJAL128便を予約したのは…
遅い便の特典航空券の空席がなかった(128便以降の大阪行きはすべて欠航)
*14:40に麹町駅で親方と待ち合わせたのは…
品川や浜松町の待ち合わせでは親方が迷子の可能性大(過去の経験から信用ゼロ)
*タクシーがすぐに拾えなかったら…
地震発生直後で人々が次の行動に移る前だった(横取りされそうだったが)
もし1本遅い便だったら、タクシーに乗れなかったら、それよりも、もし親方と会う前に地震が起きていたら、お互いの居場所がわからず電話も繋がらず混乱していたに違いない。本当に偶然が重なり大阪へたどり着くことができました。これは転勤前の神様のお目こぼしでしょうか。おかげ様で義母と義兄の元気な笑顔にも会えました。すべてのことに心から感謝。
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日曜日、伊丹空港からの出発便は東北方面を除いてほぼ正常通り。羽田空港から家までの帰路、閑散とした渋谷駅や新宿駅の様子からも、この週末に起こった首都圏での混乱が窺えます。
浦島太郎状態で帰宅した我家の被害。食器棚の中で落下していたグラス4個破損、ハノイ訪問時に元上司Mさんから戴いた陶器の人形2個中の1個破損、ほか植木鉢落下1個、写真立て落下。予想したよりも荒れておらず、少し片付けと掃除をして長い週末が終わりました。
***
今度の日曜日、3月20日からインドネシア転勤予定の親方は、今朝もいつも通りに出勤しました。昨夜から計画停電の影響が発表されていましたが、どうやら西武池袋線は朝から運行している模様。転勤の予定はどうななるのか、また会社内の様子も心配です。出発前に大変な震災が起きてしまいましたが、今は自身の仕事へ注力するしかありません。
ニュースで悲惨な状況を見るにつけ、自分の無力さを思い知らされるばかりで脱力してしまいます。でも、大きな被害を受けていない地域にいる人々は、目の前にあることを頑張るしかない。一見不謹慎に思えるけれど、たとえば旅行や娯楽、グルメやショッピングですら予定通りに行っていいと私は思います。すべてを自粛、自制してしまうと日本経済全体が衰退してしまうから。
支え合う様子や想い、交通機関などが混乱しても大多数の人々は冷静に行動し、商店への強奪なども起きず、こんな災害時に垣間見る日本人の生真面目さが、同じ日本人として非常に誇らしく思えます。過去の震災からも立ち直ってきた日本。絶対に大丈夫。
都心で仕事中だった皆さんは帰宅するのに大変な思いをされたことでしょう。早く元気な顔に会いたいです。その時まで、がんばろうね。
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きのう13日の日曜日夕刻、帰省していた大阪から東京の我家へ戻ってまいりました。安否確認のメールを下さった皆さま、大阪で歓待して下さった皆さま、ご心配いただき本当にありがとうございました。我家は2人とも無事です。都内在住の私の両親も姉と甥っ子も。人と人とのつながり、温かさをしみじみ感じた3日間でした。
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金曜日、いつも通りに出勤した親方と会社近くの東京メトロ・麹町駅で待ち合わせ、有楽町駅へ到着してホームを歩いているところで地震発生。ともかく地上へ出て、偶然拾えたタクシーに乗り羽田空港へ向かいました。ラジオから流れるニュースで震源が東京ではないこと、また東北では聞いたこともないような震度の数値に心が潰れそうでした。
通過したオフィス街は異様な光景でした。ビルの外に避難している大勢の会社員たち、お台場付近の湾岸でもうもうと上がる黒煙。封鎖された首都高速の下の一般道を走っていたときに感じた大きな余震の恐怖。まるで映画のCGのような街に自分がいる。電話は不通、メールも送信できない。家族は大丈夫か、高層ビルで働いている友人は、老朽化した本社ビルは。いろいろな想いが廻りました。
羽田空港到着。予想通りすべての機能は停止していました。ひたすら待つばかりです。それでも客たちは誰もが冷静でした。テレビの映像からは信じがたい被害状況が流れていました。鉄道が止まり、タクシーもバスも期待できない。陸の孤島となる空港で「もしかしたら夜明かしすることになるかもしれない」そう思って取りあえず食料確保。お弁当と飲み物を買い、ひたすら待つばかりです。
地震発生から約2時間後、相次ぐ欠航のなか間引き運行が再開。やがて我々が予約していた便も飛ぶことになりました。空港で約3時間、搭乗後の機内で約1時間待機の後、大阪伊丹空港へ到着。たどり着けたことが奇跡のようでした。
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こんな感じで東京を脱出した我々だったのですが、思えばすべてが偶然でした。
*16:30羽田発のJAL128便を予約したのは…
遅い便の特典航空券の空席がなかった(128便以降の大阪行きはすべて欠航)
*14:40に麹町駅で親方と待ち合わせたのは…
品川や浜松町の待ち合わせでは親方が迷子の可能性大(過去の経験から信用ゼロ)
*タクシーがすぐに拾えなかったら…
地震発生直後で人々が次の行動に移る前だった(横取りされそうだったが)
もし1本遅い便だったら、タクシーに乗れなかったら、それよりも、もし親方と会う前に地震が起きていたら、お互いの居場所がわからず電話も繋がらず混乱していたに違いない。本当に偶然が重なり大阪へたどり着くことができました。これは転勤前の神様のお目こぼしでしょうか。おかげ様で義母と義兄の元気な笑顔にも会えました。すべてのことに心から感謝。
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日曜日、伊丹空港からの出発便は東北方面を除いてほぼ正常通り。羽田空港から家までの帰路、閑散とした渋谷駅や新宿駅の様子からも、この週末に起こった首都圏での混乱が窺えます。
浦島太郎状態で帰宅した我家の被害。食器棚の中で落下していたグラス4個破損、ハノイ訪問時に元上司Mさんから戴いた陶器の人形2個中の1個破損、ほか植木鉢落下1個、写真立て落下。予想したよりも荒れておらず、少し片付けと掃除をして長い週末が終わりました。
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今度の日曜日、3月20日からインドネシア転勤予定の親方は、今朝もいつも通りに出勤しました。昨夜から計画停電の影響が発表されていましたが、どうやら西武池袋線は朝から運行している模様。転勤の予定はどうななるのか、また会社内の様子も心配です。出発前に大変な震災が起きてしまいましたが、今は自身の仕事へ注力するしかありません。
ニュースで悲惨な状況を見るにつけ、自分の無力さを思い知らされるばかりで脱力してしまいます。でも、大きな被害を受けていない地域にいる人々は、目の前にあることを頑張るしかない。一見不謹慎に思えるけれど、たとえば旅行や娯楽、グルメやショッピングですら予定通りに行っていいと私は思います。すべてを自粛、自制してしまうと日本経済全体が衰退してしまうから。
支え合う様子や想い、交通機関などが混乱しても大多数の人々は冷静に行動し、商店への強奪なども起きず、こんな災害時に垣間見る日本人の生真面目さが、同じ日本人として非常に誇らしく思えます。過去の震災からも立ち直ってきた日本。絶対に大丈夫。
都心で仕事中だった皆さんは帰宅するのに大変な思いをされたことでしょう。早く元気な顔に会いたいです。その時まで、がんばろうね。
by warau1116
| 2011-03-14 09:07
| Family Life